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不登校の原因って甘えなのか?家庭(母親、父親)なのか?中学生時代不登校児だった私の体験談

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私自身、中学生時代不登校児、そして中卒です。

丸々1ヶ月半以上、学校に行かなかったり、出席しても遅刻していったり‥覚えている限りの出席日数は中学生活3年間で半数くらいではないでしょうか(遅刻していった出席含めて)。ある意味、小卒に等しいかも知れません。

『なぜ不登校児になったのか』不登校児だった当事者の私が大人になって不登校の原因を客観的に考えられるようになったので、体験談、経験談として語らせてください。

不登校の原因その①:コンプレックスによるもの

私自身、生まれながらにしてぽっちゃり街道を歩んできました。

小学1年生で45kgあり、幼稚園児の頃に『デブぅぅぅぅぅ』と他クラスの児童から叫ばれたりして嫌だといった感情をもったことを鮮明に覚えています。

また、中学生時代に長期間の不登校になりましたが、初めて登校拒否をしたのは、幼稚園児の頃でした。

幼稚園児ながら自らの意志で『幼稚園行きたくない』と、押入れに隠れたんですよね。

その頃の原因は、運動会の組み立て体操で持ち上げられる側になったからなんですけど‥

幼稚園児ながら自分が太っていることを認識して『痩せている子供達に自分がかつがれるだなんて‥』と、運動会といった大人数が集まる場面で太っている自分を見られるのが嫌だといった感情をもっていました。

そして、その後、小学生、中学生時代でも運動会を登校拒否といった感じで参加しない(休む)ことが多々ありました。

また、中学生の頃に長期的に不登校になった原因の一つが、クラスの席替えで教卓の前の席になったことでした。

教師から見られるということ、そして、その頃80kg以上あったので、自分の大きな背中で後ろの席の子達が黒板を見られないんじゃないか?不快に思われるんじゃないか?といった差し迫ったような恐怖心が、不登校といった登校拒否に拍車をかけるようになったんです。

  1. コンプレックスの意味を理解できない幼稚園児だろうと『嫌』といった感情がある
  2. もともとの登校拒否はいつ発生したのか?
  3. 学校行事など『いつ』『どの場面』で行きたくないと子供が声をあげてくるのか認知しておく重要性があるのではないか?

 

不登校の原因その②:学業不振によるもの

私自身、小学生の頃は勉強するのが好きな子で、珠算の大会で優勝したり、比較的に成績は良かったです(体育以外ですが)。で、自分は頭がいいのかもと思っていましたw

が、中学生となり学業不振となりました。

その要因として、理科の化学式問題ですが『水はなぜH₂Oなのか』『Hってなに?』『₂Oってなに?』『₂ってなに?』『なんで₂なの?』と、『水なのに、なんでwaterのwがないの?』と、理解することが困難で、暗記することができなかったんです。

その『なんで』が理解できない(解決しない)ことで、次の勉強に進めない子でした。

中学1年生の1学期、理科の成績が1で、体系(見た目)も、勉強もだめ‥と、挫折を知るのです。

で、その『なんで?』を理解してくれて、『なんで?』の答え合わせを解決できる環境がありませんでした。

なぜかというと、教師への信頼の欠如だったり、クラスといった大人数の中で質問することが恥ずかしいと思っていたり、自身のコンプレックスから塾に行くよりも家にいたい、そして家には『なんで?』に関して教えてくれる人もいない‥

そうなると『自分は頭が悪いんだ』と疑心暗鬼となり、学業不振が加速、授業についていけない、勉強が嫌になる、学校に行きたくないと、負のスパイラルとなっていきました。

  1. 子供の『なんで?』に答えられる環境はあるか?
  2. いくら登校して授業に参加していても、疑問に思ったことを聞けない性格をもった子もいる

 

不登校の原因その③:対人関係によるもの

私自身、幼少期時代太っていたことで幼稚園児の頃から『デブ』と言われ、小学生時代には『デブ』『相撲取り』とディスられ、中学生時代になると『デブがうつる』と席を離されたり、遠足で『早く歩けよデブ』と同級生から言われていて、一目につくこと、人に会うこと、そして学校に行くことが嫌でした。

また、小学生の頃の担任の先生が、修学旅行のグループ写真を私抜きで撮影をしていたり、フルーツバスケットなどのお遊戯の罰ゲームで『早く相撲取りのマネしなよ』と率先して言う先生でした。

教師だからといって信頼をしてはならないと、小学生ながらにして学んだんですけど‥

もともとの性格が内気であること、小学生だろうがコンプレックスをもっていて一目につくことを嫌がっていた子が、罰ゲームといった注目される状況でからかわれることが、死にたくなるくらい嫌に感じてしまう子もいるんですよね。

  1. 対人関係は同級生だけではなく、教師も関係している可能性がある

 

不登校の原因その④:家庭環境(母親・父親)によるもの

私の家庭は共働きで、両親に会うのは良くて週1程度だったので祖母が面倒をみてくれていました。両親とは、確実にコミュニケーション不足だったと思います。

石頭の父親から、小学生時代『太り過ぎだから飯食うな』と言われたり、テストの成績が良かったとしても、珠算や柔道で優勝したとしても『当たり前だ』と褒めてくれることが一切ありませんでした。

また、私が中学生時代になると両親に会うのは月に一度会うか会わないかとなり、中学生時代、不登校となった1ヶ月を過ぎた頃『なんで学校に行かないんだ!それでも俺の子か!』と寝ている私の首を締めてきた父親‥

また、母親は口論になると平手打ちをしてくるタイプで、私の両親自身が感情をコントロールできない、子供と話し合いができないコミュ障なんじゃないか?と最近になって多々思うことがあるんです。

で、学校生活(学業、対人関係)でも上手くいかない、母親・父親(家庭環境)とも上手くいかないとなると、自己評価の低い子供になったんですよね。

『どうせ自分なんて』『好きで産まれた訳じゃない』『死にたい』と常々思っていました。

父親に首を絞められた日、泣きながら無理矢理学校に連れて行かれたんですけど、友人関係、教師関係が円満でもなく、学業不振、体育祭といった学校行事を好んでおらず、1ヶ月以上不登校にになっているにも関わらず、急に学校に通うことは拒否反応でしかありませんでした。

両親とのコミュニケーション不足、両親との接し方が分からない、ますます両親と距離をおくようになりました。

自身のコンプレックスや、学校生活において家庭で相談できる人がいなかったことも、不登校の原因であったと思います。

どこを探しても避難先(居場所)がないんですもの。

  1. 不登校児の居場所がどこにあるのか?
  2. コミュニケーションは、ちゃんととれているのか?
  3. 暴力で子供が言いたいことを言えなくしていないか?
  4. 褒めてあげたり、抱きしめてあげたのはいつ??

 

不登校の原因その⑤:甘えでもあるが、甘え下手によるもの

大人になって私自身が不登校になった原因は、甘えでもあったと思います。

学校がある日は朝が起きれなかったり、今でも朝は苦手なんですけど、例えば『旅行』といった自分が好きなことに関しては早起きができるんですよね。

ただ単に苦手なこと、嫌なことから逃れる為に起きれない=それは甘えだったと思います。

ですが、子供が甘えるのは当然のことではないのか?とも思うんですよね。

発展途上国のような『世界には学校に行きたくても通えない子供達もいる』その子供達や、根性論な大人達からしたら、日本という国に住めて、教育を受けられるのに『学校に行かないだなんて甘えている』と思われるかも知れませんし、不登校で悩んでいる敏感な子供達は少なからず気がついているとも思うんです。

家庭環境、学校生活、対人関係、コンプレックスなど、様々な背景があり、負のスパイラルで自己評価の低い子供達の中には生きることが精一杯になっている子もいて、不登校に関して決して甘えだけではないと思うんです。

小学生時代、中学生時代、感情を堪えたり、感情を表すのが苦手だったりして『どうして自分はこうなんだろう?』と、一人で泣くことが多々ありましたが、その感情は、親や学校側には思うように伝わらないのです。伝えられないのです。

また、もし、親や学校の先生などに『不登校は甘え!』と、超ド級ストレートに言われたら、子供ながらに察知していることから図星もあって、発狂したり、感情のコントロールが制御不可能になっていたとも思います。

甘え方が分からなかったんですもの。

  1. 不登校は甘えだけではい
  2. というより、不登校児は甘え下手な子もいるのではないか?

 

不登校の原因その⑥:性格によるもの

コンプレックスと、甘えとは別に性格といった心理面でお話させてください。

私自身、幼少期~太っていたことで『デブデブ』言われたりしていたことで、コンプレックスを抱き、一目にみられる恐怖心、父親含む対人関係での様々なストレスがありました。

ですが、見た目がどうであろうと明るくて人気者の子って男女いると思うんです。

例えば『デブー』と、からかわれても、言葉を跳ね返すように逆に追いかけるような元気な子とか。

上記で記載しましたが、私自身の初めての登校拒否は、幼稚園児の頃です。

幼稚園児の頃から『(見られるのが)恥ずかしい』『行きたくない』といった感情が優先された性格で、結婚式でのフラワーガールだったり、ピアノの発表会といった人前に出る行為が苦手で億劫だと思っていた内気な性格でした。

また、上記で記載した小学生時代の頃、修学旅行のグループ写真を私抜きで撮影をしていたり、『早く相撲取りのマネしなよ』と率先して言っていた担任の先生について、家庭環境含め一切口にしていませんでした。

両親とのコミュニケーション不足ももちろんあったと思いますが、母親が『○○先生いい先生だね』と言っていた、思っていたからなんですけど‥

私抜きで撮影されたグループ写真は、もちろん買わなかったんですけど『母親がみたら惨めに思う』と思ったからで‥

『修学旅行の写真買わなかったの?』と母親に言われても『映り悪かったから』と子供ながらに噓をつきました。

例え喧嘩してビンタくらおうが、自分の母親がいい先生と思っている先生が『実は娘からしたらこんな先生なんです』だなんて、自分の母親がいい先生と過信している幻想を崩してはならない、それは、母親の恥じる行為なのではないか?と思って隠していました。

いい意味で子供ながらに母親のプライドを守った、優しい噓をついた、悪い意味で本音を言えない親子関係を築いてしまったんですよね。小学生ながらにして。

子供だとしても、親のことを考えて口外しない、したくないこともあるのです。

そして、大人(保護者)が子供や先生含め、見えていること、耳にしていることが真相や真実ではないのです。また、先生側から見えている光景も全てではないのです。

  1. 幼少期の性格はどうだったのか?
  2. 毒親だろうが子供は親を守るために素直に全てを話すとは限らない

 

まとめ:私自身が不登校となった原因

  1. 性格
  2. 身体的コンプレックス
  3. 学業不振
  4. 学校行事
  5. 家庭環境
  6. 対人関係

私が不登校になった原因は、一つだけではなく様々な原因・背景がありました。

また、それぞれが線で結ばれるようなスパイラルとなっており、当時の私はどこかで居場所を求めていたのかも知れません。

 

 

終わりに:中学生時代不登校児だった私の体験談

不登校児だった当事者の私が『なぜ不登校児になったのか』その原因について語らせていただきました。

恐喝のように理由を尋ねられたり、無理矢理学校に連れて行かれることは、私の場合は逆効果でした。

頭ごなしに『学校に行け』と言われても、学校・学業の重要性の意味が分からなかった当時の私は、大人になっていくにつれて『学業の壁』を目の辺りにしてから、毒親のような父親が『学校に行け』と言ってくれた意味を理解することができるようになりました。首をしめたりするのは逆効果だよ。トラウマだから。

不登校について議論されることを度々耳にしますが、当事者ではないと分からないことが多々あると思うんですよね。

なぜ学校に行きたくないのか、どういった理由・原因・背景・子供の性格を把握していることで、大人ができる対処法ってあると思うんですけど‥

まず、第一に子供が学校や、特定の行事に『行きたくない』と自ら発したり行動するのは、SOSなのではないでしょうか。

 

 

 

以上、

不登校の原因って甘えなのか?家庭(母親、父親)なのか?中学生時代不登校児だった私の体験談でした。

最後までご覧いただきありがとうございました。